台風30号 12月8日~12月10日

<比台風>父母と弟を失った14歳 前を向いて生きる
毎日新聞 12月8日(日)16時48分配信

 【タクロバン(フィリピン中部)袴田貴行】「将来は強い兵士になりたい」--。台風30号の直撃を受けたフィリピン・レイテ島タクロバンのスラム街で、父母と弟の家族計3人が犠牲になったフィルジョン・アブロガリ君(14)は、記者にそう夢を打ち明けた。

被災から8日で1カ月。スラム街には悲しみを抱えながらも、懸命に前を向いて生きようとする人々の姿があった。

【比台風】きょう1カ月…生活の再建、まだまだ遠いが「命あるのが一番だ」

 タクロバン空港に近い海岸沿いのアリマサグ地区。かつては数千軒のバラックが密集していたが、台風の高波でほとんどが流された。

7日に訪ねると、3000人以上いた住民のうち数百人が廃材で柱を組んでトタンをかぶせ、作り直したバラックでの生活を再開していた。

 フィルジョン君は年齢より幼い顔をした小柄な少年だ。台風が直撃した11月8日朝、家族5人で暮らしていた海岸から約500メートルのバラックを、ヤシの木ほどの高さの波が襲った。

約2時間必死に泳いで疲れ果て、やっとの思いでヤシの木にしがみついた。

 波が膝の高さまで引くと、はぐれた家族を捜した。跡形もなくなったバラックがあった付近に、父ティオフィーロさん(62)と弟フィルマー君(10)が倒れていた。既に息はなかった。

その場でうずくまって泣いた。まもなく姉(16)とは再会できたが、母エルビエラさん(45)は今も見つかっていない。

 「1カ月たってもまだ悲しくて悲しくて………。夢で会いたいけど、夢にも一度も出てきてくれないんだ」と小さな声で話した。

 地区から市街地までは歩いて30分ほどかかる。住民の不便を解消するため、市場でまとめて仕入れた雑貨や日用品を売る商店が目立ち始めている。

フィルジョン君は被災後しばらく野宿をしていたというが、バラックを建てて2週間前からは姉や叔父(34)ら4人で暮らす。学校が再開するのは1月中旬の見込みで、今は市内でがれき撤去のアルバイトをしている。

1日8時間で日当は500ペソ(約1170円)。食費を稼ぐため働いているのかと尋ねると、少しはにかみながら首を振った。

 「お金をためて、自分へのクリスマスプレゼントにTシャツと短パンとサンダルを買うんだ。クリスマスくらいはハッピーに過ごしたいから」

 兵士になりたいという小さな頃からの夢は被災後、一層膨らんだ。「大切な家族や友達を、僕が守りたいんだ」

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フィリピン台風30号直撃から1か月、復興への長い道のり
AFP=時事 12月10日(火)11時37分配信

【AFP=時事】大型の台風30号(アジア名:ハイエン、Haiyan)の直撃から約1か月が経過したフィリピンでは、いまだ多くの被災者ががれきのなかに設置した仮設小屋での生活を送っている。専門家らは復興には数年を要する見込みとしている。

遠い復興への道、台風被災地に山積する課題

 被災直後は、がれきのなかで寝食をする人々の姿に、世界から緊急支援の物資が殺到した。しかし今後は長期的な再建のための支援にシフトしていく。

「多くの人が緊急支援を受け取ったが、これはまだ始まりにすぎない」と国連人道問題調整事務所(OCHA)のマシュー・コクラン(Matthew Cochrane)報道官は、甚大な被害を受けた同国レイテ(Leyte)島東部タクロバン(Tacloban)でAFPに語った。

 フィリピンは毎年20以上の台風に見舞われるが、先月の30号は史上最大の破壊力を誇り、同国中部・東サマール(Eastern Samar)州では、最大瞬間風速315キロを記録した。

さらに同州およびレイテ島の海岸沿いにある貧困地域では、大規模な高潮による被害が拡大。波の高さは2階に届くほどで、100万戸以上が全半壊した。波は学校などの避難所まで押し寄せ、多くの人が犠牲となった。

■最大の優先事項は住居の建設

 12月8日で台風の直撃からちょうど1か月が経過した。コクラン氏は同日、最大の優先事項は約50万世帯のための新しい住居建設と語ったが、これには約5年の歳月と数十億ドルの費用を要すると試算されている。

一方、すでに多くの被災者が避難所を出ており、中には拾い集めたがれきなどを使って再建を始める人もいる。

 18歳のロニー・メラフロアさんは、竹を使って間に合わせのクリスマスツリーを作った。ツリーは彼と家族が暮らす木造の小屋脇にある割れたコンクリートとタイルのがれきの上に立っている。

メラフロアさんは「家の中には置けなかったけど、クリスマスは祝いたい」とコメントした。両親と7人のきょうだいと共に近くの学校に避難して台風の被害を免れたという。

 他方で政府や支援団体は、生活の糧を失った農家数万人の救済を急いでいる。次の収穫のためには今月中に田植えを行う必要があるため、田んぼからのがれき撤去や水路の整備などが急ピッチで進められている。

「これは食料の確保において重要な問題だ。今月中に終わらせることは大きな挑戦だ」と英国を拠点とする国際NGOオックスファム(Oxfam)のイアン・ブレイ(Ian Bray)報道官はAFPに語った。

 支援は被災者の心の傷を癒やすためにも必要だ。「このような災害では物理的な再建だけではなく、心の傷を治すことも求められる」と国際赤十字社(International Federation of the Red Cross)のパトリック・フラー(Patrick Fuller)報道官は述べている。【翻訳編集】 AFPBB News
 
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フィリピン台風犠牲者の身元確認、初動の遅れで難航中
ウォール・ストリート・ジャーナル 12月10日(火)11時23分配信

 

 【タクロバン(フィリピン)】約5800人もの犠牲者を出した超大型台風30号の襲来から1カ月、フィリピンの法医学の専門家らは今、遺体の身元確認作業に取り組んでいる。

ただし、競合する行政機関が被災直後の最初の数週間にわたって対立したり、混乱したりしたため、重要な時間がすでに失われてしまった後でのことだ。

 この身元確認作業の遅れは、一部の犠牲者の身元の判明が不可能になることを意味すると病理学者は指摘する。熱帯地方の高い気温と湿度によって腐敗の進行が早く、外傷や指紋といった身体の特徴がわからなくなってしまうからだ。

 約400万人が避難を余儀なくされるなど、被災規模が大きいため、身元確認に役立つ他の情報の入手も困難になっている。例えば、DNA鑑定が可能な親類や、歯の治療記録を見つけ出すことなどだ。 

 フィリピン当局は被災直後、遺体の慎重な収容や身体的特徴の確認作業などを二の次にし、食糧や水の確保、略奪行為の阻止、電気や通信手段の復旧などを優先させた。

 フィリピン保健省のPaulyn Jean Rosell-Ubial次官補は「日一日と重要な身元確認の情報が失われている」と話した。

 被害の大きかったレイテ州の州都タクロバン地区で警察の科学捜査担当官が調べた1700体を超える遺体のうち、身元が判明したのは270体に満たない。

8日午前の時点で、台風30号による犠牲者の数は5796人に達し、行方不明者は1779人に上っている。

 最初に遺体を発見するのは消防隊員である場合が多い。がれきや水を含んだ土の下から収容した遺体を袋に入れ、道路脇に置く作業をしているためだ。

消防隊員は警察の科学捜査を担当するシーン・オブ・ザ・クライム・オペラティブ(SOCO)に連絡し、SOCOは遺体を調べ、識別番号をふり、性別や身長、およその年齢、身につけている宝飾類や入れ墨、洋服などを記録する。

写真も撮影され、識別番号は遺体を入れた袋に書かれるか、紙に書いてビニールの袋の袖に入れられる。

 多くの場合、また時にはSOCOが調査をしないまま、遺体は町の近くの集団墓地に運ばれる。最初に設置された集団墓地はタクロバン近隣のバスパーにあり、公共墓地に隣接していた。

だが、後に場所が不適当だと判断され、タクロバン郊外のスヒに2番目の集団墓地が設けられた。

しかし、どちらの場所も混乱状態となり、3カ所目となる集団墓地が設けられた。

 バスパーの集団墓地では、約55メートルの長さに掘った溝の中に遺体の入った袋が約400入れられ、雨や風にさらされるままになった。被災後4週間で、これらの遺体にはハエやウジがたかり、腐敗臭を放つようになった。

破れた遺体袋から、ひどく腐敗が進んだ遺体の一部がのぞいているものもある。スヒの集団墓地はレイテ州を通り抜ける2車線の幹線道路から約45メートル離れた場所にある。

 病理学者でチームの共同リーダーを務めるAngelie Oropilla氏は「悪夢だ」と話した。

 SOCOが遺体の袋につける、愛する人を探し出すために役立つはずの紙の札の多くは、毎日の雨にさらされて紛失するか、読めなくなってしまっている。ある袋には小さな馬が入っていた。

それも、記録されるべきもので、そうすれば袋の番号――119番――の消息が把握される、と同チームのリーダーの1人は言う。

 世界保健機関(WHO)は自然災害の後に集団墓地を利用することは「有害無益だ」と説明する。家族や地域社会にとってトラウマ(心的外傷)になりかねない。

また、身元不明のために遺体との対面ができなければ法的問題に発展する可能性もあると指摘する。また、フィリピン保健省のガイドラインにも反する。

 だが、保健省のEric Tayag次官補は、今回は「個人用の墓地を用意する十分なスペースがなかった」と言い、「数千もの遺体は予測していなかった」と述べた。

 法医学の専門家による身元確認作業は墓地で行われている。しかし、2つの政府機関がそれぞれ担当チームを派遣したため、作業手順で合意するまでに被災後2週間もかかってしまったと両機関の当局者は話した。

 保健省はWHOが推奨する手順に従っている。WHOは亡くなった人が愛する人に素早く対面できることを第一義としている。一方、警察機関である国家捜査局(NBI)はインターポール(国際刑事警察機構)のガイドラインを採用している。

インターポールは各種の記録や指紋、DNA鑑定といった身元調査を重視している。これはより信頼できるものだが、時間がかかる。

 両機関はNBIが身元調査の指揮をとることで合意し、作業の促進とコスト削減のために、インターポールとWHO、赤十字国際委員会、さらには保健省が推奨する方法を融合させた手順を使うこととなった。

病理学者によると、DNA検査だけでも1人約500ドル(5万1500円)かかるという。保健省のチームは11月22日に撤退した。

 病理学者は1日最大で40~60体の遺体を調べ、身元確認用の記録をつけているが、このペースでいけばすべての遺体を検査するのに数カ月を要する可能性がある。

NBIの病理学者は航空機やフェリーの事故による犠牲者の身元確認には慣れていると話す。こうした事故の場合は、犠牲者の数も少なく、乗客名簿などが役に立っている。

 DNAや指紋、歯形の記録を終えると、看護師――1つの遺体袋に4人――は、くるぶしまでぬかるむ泥の中を白いテントまで遺体を運ぶ。遺体は白いテント内に安置されることになる。

     (ヤフーニュース からです)

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