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台風30号 11月18日~11月24日

フィリピン:「早く逃げろ」ドゥラグ町長 犠牲者最小限に 

毎日新聞 2013年11月18日 11時18分(最終更新 11月18日 12時50分) 
 


【ドゥラグ(フィリピン中部)佐藤賢二郎】台風30号で大きな被害を受けたフィリピンのレイテ島東部。最大の被災地タクロバンから南に35キロ離れたドゥラグは高潮に襲われたが、強制避難が奏功し、沿岸部の死者はゼロだった。

 ドゥラグは人口約4万8000人の漁師町。うち約1万7000人が海沿いの8集落に住んでいた。海岸から人家まではわずか約10メートル。

 町長のマニュエル・シア・ケさん(60)は台風上陸前日の7日、4時間かけて集落全てを回り、集落の責任者に対し、国の法律を根拠に強制的に全住民を退去させるよう指示を出した。

 その結果、ほとんどの民家が全半壊する被害を受けながら、町内の死者は19人にとどまった。全てが内陸部で、強風によって倒壊した樹木や家屋の下敷きになった圧死だった。

 「前日に避難していなければ、多くの犠牲者が出ていたに違いない」。ドゥラグ北部の集落サンホセの漁師、フローレンティーノ・イグナシオさん(58)が振り返る。

 8日午前6時過ぎ、高さ約5メートルの高潮が襲ったが、集落に残っていたのは自宅を監視していた成人男性だけ。人口の約8割を占める子供や女性、高齢者はすでに前日、内陸約500メートルの学校に避難していた。

 イグナシオさんは10人ほどの住民と一緒に、海から約45メートル離れた道路で海の様子を見ていた。豪雨と強風で視界は悪い。

突然、ごう音を上げて近づく茶色い波に気づいた。地面が地震のように揺れた。「逃げろ」と声をかけ、パニック状態になりながら内陸部に避難した。

波は道路を越え、数人が波にのまれたが、全員が漁師で泳ぎが得意だったことから、自力で脱出したという。

 ケ町長は「想定を超えた災害だったが、十分に備えを行ったことで被害を最小限に食い止めることができた」と語った。

   (毎日JP からです)

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台風30号比直撃 新幹線並みの暴風と高潮 被災者らは見た


フィリピン中部に8日上陸、通過した地域の家屋をほぼ根こそぎなぎ倒し、千人以上の死者を出した台風30号。「竜巻と津波が同時に襲ってきたようだった」。

新幹線の速度並みの強烈な暴風と、数メートルの高潮を伴った「スーパー台風」(米メディア)のすさまじい威力を、被災者や現地の日本人の話を基に再現した。

■「こんな経験初めて」

 直撃を受けたレイテ島の中心都市タクロバン。強風で生じた高潮は推定5メートルに達し、海抜の低い中心街や空港に大きな被害をもたらした。

 「風が強くなってきたな」。午前4、5時ごろ、空港近くの集落に住むロメオ・モンザレスさん(55)がそう思った1、2時間後、雨が激しくなり、間もなく停電。

「直後に高潮が押し寄せ、一気に家が流された。津波のようだった」。耳をつんざく猛烈な風と雨の中、必死に泳ぎ、ココナツの木や竹にしがみついた。

1時間ほどして潮が引き、信じられない光景を目の当たりにした。

 集落は全壊し、がれきの山に。木やトタンでできた自宅も、土台のコンクリートしか残っていなかった。

 日本では、風速30メートル以上は「猛烈な風」とされる。気象庁によると、台風30号の最大瞬間風速は秒速90メートル。新幹線のぞみの営業運転最高速度並みの猛スピード。

車や建物は容易に空中に持ち上がる。モンザレスさんは「台風はたびたび襲来するが、こんな経験は初めて」と話した。
 
■「流される人見えた」

 アントニオ・トラリンさん(62)は、高潮で自宅があっという間に流された。夢中でもがき、流れてきたトタン屋根に体を乗せ、何とか溺れずにすんだ。行方不明になった妻と息子(24)に「声を掛ける暇もなかった。すぐに姿を見失った…」。

 タクロバンの南にあるタヌワン町のペル・タクソン町長(46)は、災害対策に当たるため、前日の7日から町役場の建物に泊まり込んでいた。

8日朝、建物は崩壊。非常時に備えていた消防職員3人は消防車と一緒に濁流にのまれ、犠牲になった。「ほぼ全ての住宅ががれきになった。町がなくなってしまった」と町長はうなだれた。

 青年海外協力隊員の日本人女性(31)は、出張でタクロバンのホテルにいた。午前6時半ごろまではインターネットに接続できていたという。7時ごろから風が強くなった。

横殴りの雨で視界が悪くなり、ホテルの窓ガラスが次々と割れ始めた。「外で濁流に流される人の姿が見えた」

 「(風の影響で)震度3から4の揺れが2時間ほど続いた。外から奇声や泣き叫ぶ声が聞こえた」と女性は振り返る。

 台風が通過した後のタクロバンはひっくり返った車や、押しつぶされるように横倒しになった家屋が無残な姿をさらしていた。道路脇では泥まみれの遺体ががれきとともに放置され、途方に暮れた住民がさまよっていた。(共同)



    (IZAニュース からです)

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比台風:息子、生きているのでは…1600人以上なお不明
毎日新聞 2013年11月24日 09時24分(最終更新 11月24日 11時26分)

台風30号がフィリピン・レイテ島などを直撃して半月が過ぎたが、いまだ1600人以上が行方不明のままだ。大きな被害の出た同島タクロバン市の避難所では、多くの人が最愛の家族の身を案じながら不安な日々を送っている。

 「どこかで生きていてくれるのでは」。同市中心部の避難所に身を寄せるナリサ・エストラーダさん(43)は、今もその思いが消えない。

長男ディノさん(24)、母(63)、姉(45)、おい(38)の家族4人が行方不明だ。夫とは既に死別しており、助かった父や姉妹ら7人と避難生活を送る。

 8日午前7時ごろ、家族と食卓でコーヒーを飲んでいると、海から約10メートルの自宅を突然高波が襲った。波にさらわれ、約4時間泳いで陸地にたどり着いた。

約30分歩いて避難所に到着。父らとはそこで再会できたが、長男ら4人の姿はどこにもなかった。

 ディノさんは、勉強熱心な自慢の息子だった。高校卒業後、専門学校で建築とコンピューターを学び、コンピューター技師の職を探していた。

最後の会話は高波が自宅を襲う約1時間前に交わした「おはよう」のあいさつ。あの日、もっとたくさん話しておけばよかったと悔やんでいる。

 避難所に来てからは毎日泣いていたが、最近は次第に現実を受け入れつつあるという。だが、「今も生きているのでは」という思いが浮かび、心は揺れる。

本当は自宅跡まで捜しに行きたいが、車もお金もないのでかなわない。三男のサムエルさん(18)がいつも寄り添い、励ましの言葉を掛けてくれる。

 ナリサさんの夢は、いつか自宅を再建してまた家族みんなで暮らすことだ。「お金もなくなってしまったので、いつ実現できるかは分からない。けれども、それを唯一の希望にして生きていきたい」

    (毎日JP からです)

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