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台風30号 11月20日~11月21日

日本の自衛隊、フィリピン救援活動を開始
ウォール・ストリート・ジャーナル 11月21日(木)11時2分配信

 【タクロバン(フィリピン)】日本の自衛隊は20日、台風30号で大きな被害を受けたフィリピン中部レイテ島で国際的な救援活動に加わり、同島の中心都市タクロバンから避難する市民を空輸した。

アジアにおける影響力拡大を狙ったもので、第2次世界大戦旧日本海軍が壊滅的な敗北を喫したレイテ島の戦闘現場近くでもある。

 海上自衛隊の艦船3隻も22日に現地に到着する予定で、既に空輸活動を開始している航空自衛隊に合流する見通しだ。自衛隊の海外救援活動としては最大級になる。

 米軍は既に、大規模な緊急部隊を派遣して台風で被害を受けた人々の救援に当たっている。また中国政府は20日、各種の援助活動、とりわけ海軍の病院船を派遣すると発表した。

中国は当初、フィリピンへの復旧支援に十分な措置を講じていないとして国内ソーシャルメディアで批判されていた。

 中国、米国、そして日本は、戦略的に重要で鉱物資源の豊富な南シナ海で自国の影響力を行使しようと競っている。南シナ海では、中国はフィリピン、ベトナムとの間で海上の島や環礁の領有権で争っている。

日本自身も中国との間で尖閣諸島(中国名は釣魚島)の領有権で争っており、フィリピンなど中国のライバル国への支援を強めている。

 日本国際問題研究所の海上安全保障問題専門家、小谷哲男氏は「(日本の自衛隊の)フィリピン派遣は、中国をけん制することにもなり、同時に日本と米国の軍事力を誇示する良い機会になる」と述べた。

 小谷氏は、このような規模の災害救援活動は、戦争中に行われるのと同じ軍事作戦を伴うと指摘している。同氏は「命令と管理、緊急対応、捜索、そして救援。それは基本的に戦争と同じで、実弾を発射しないだけだ」と語った。

 日本の軍隊がフィリピンで最後に大規模に展開されたのは、第2次世界大戦中だった。日本軍は戦争中、米国や他の連合国とともに日本と戦っていたフィリピンを占領した。

大戦中、最大の海戦はレイテ島水域で展開された。1944年10月のレイテ湾の戦い(レイテ沖海戦)がそれで、日本海軍は、米国とオーストラリアの連合軍と戦った。

 タクロバンに住むコラソン・ビノヤさん(56)は「わたしが小さい頃、祖母が大戦中の日本軍の占領の様子を話してくれた。祖母は日本人を非常に恐れていた」と述べた。

 しかし「それも全て終わった。わたしは日本の軍隊(自衛隊)が救援活動に参加することについて、何もネガティブ(後ろ向き)なことは感じていない」と付け加えた。

 22日にフィリピンに到着する予定の海上自衛隊の緊急援助部隊は、護衛艦輸送艦、補給艦の艦船3隻とヘリコプター8機で構成され、救援の手がまだ届いていない遠隔地に緊急物資を運ぶ。

 日本による救援活動は、自衛隊員1000人以上が参加する見通し。それは、南シナ海で領有権を主張する中国に抵抗しているフィリピンなどとの連携強化を狙った日米両国の努力の反映でもある。

日本の行動はまた、インドネシアミャンマー、インドのほか、フィリピンとの経済関係強化という目標をも反映している、とアナリストはみている。

 自衛隊の広報官は、任務の中心は、台風の被害を受けた人々を、たとえ一時的にであれ、別の地域に移動するのを手助けすることだと述べた。

日本のC-130輸送機は20日、最初のフィリピン人避難民をマニラに運んだ。一方、もう1機は燃料をセブからタクロバンに運んだという。

 同広報官は「町が再建するまで人々が避難するのは何も悪いことではない」と述べ、「多くの人々にとって、被災地で生活し続けるのが困難というだけだ」と語った。

 一方、米軍は大々的な部隊を派遣しており、日本や中国のそれを圧倒的に上回る。現在9000人近くの米兵が救援活動に参加している。このうち海兵隊員は1800人、海軍の水兵が7000人だ。 

   (ヤフーニュース からです)

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フィリピンを襲った台風30号、本当に過去最大だったのか


【マニラ】超大型台風30号(国際名:ハイヤン、現地名:ヨランダ)が8日、フィリピン中部のサマール島にある海沿いの町ギワン(マニラから南へ約410マイル)に上陸した際、世界で今年上陸した台風の中で最大規模だと表現する人もいた。そして、おそらく過去最大でもあると。

 本当にそうだろうか。

 フィリピンの気象庁PAGASAのデータによると、台風30号の強さ――中心の風力と陸上での最大瞬間風速で計測――は過去にフィリピンを襲った台風の中で7番目だったことが分かった。

 ただ、犠牲者の数が2300人を超え、さらにその数が増えていることで、最終的に過去最悪の被害となる可能性がある。

しかし、フィリピンを襲ったいわゆる「スーパー台風」――中心の風速が時速134マイル(秒速約60メートル)超のもの――の中で、最大だったのは1970年の台風ジョーンだ。

 現地では「セニング」と呼ばれたこの台風はマニラから北へ約236マイル離れたカタンドゥアネス島のビラクに上陸した。ジョーンが上陸した際、中心の風速は時速171マイル(秒速約76メートル)で、最大瞬間風速は193マイル(同約87メートル)だった。一方、今回の30号は147マイル(同約66メートル)だった。

    (ウオールストリートジャーナル から)

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台風30号フィリピン直撃から約2週間
THE PAGE 11月21日(木)15時34分配信

台風30号フィリピン直撃から約2週間
台風30号がフィリピンを直撃してから約2週間。報道によると、死者は4000人、行方不明者は1600人を超える。

日本の自衛隊も救援活動に加わり始めたが、遠隔地には救援物資がなかなか届かないという問題もある。

[写真特集]国境なき医師団 × フィリピン台風被害
.国際的人道援助団体の「国境なき医師団」は、19日現在で160人の外国人スタッフを現地入りさせた。

レイテ島タクロバン市から20キロ南にある人口5万人のタナウアンはほぼ壊滅状態で、住民は路上で生活することを強いられており、遺体がまだ川に浮いている状況。

衛生状態が悪く、タナウアンで診療される1日200件のうち、70%が細菌感染を伴うけがで、破傷風菌の感染リスクが懸念されているという。

道路はがれきの山で寸断され、大通りだけがようやく復旧。ようやく援助物資の輸送車が通行できるようになったと伝えている。

また、タクロバン空港では、島から脱出しようとする行列は夜間も途切れることがなく、市内の道路では、午後8時から午前5時の外出禁止令を示す看板が出されている。

    (ヤフーニュース からです)

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「全体像、誰も把握できず」=フィリピン台風被害―赤十字国際委幹部
時事通信 11月20日(水)20時54分配信

 来日中の赤十字国際委員会(ICRC、本部ジュネーブ)のクレヘンビュール事業局長は20日、都内で時事通信とのインタビューに応じ、フィリピンでの台風30号の被害について、「あまりに甚大で、全体像は誰も把握できていないのが現状だ」と述べ、各国に対し一層の支援を呼び掛けた。

 同局長は、移動手段が限られ、インフラも破壊されたため、被害が大きいフィリピン中部サマール島付近の島々の中には国際機関が一度もたどり着けていない地域もあると指摘。

一方で、サマール島ではICRCが3日間で5万5000人に緊急物資を配布するなど、支援体制は徐々に整いつつあるとの認識も示した。 
  (ヤフーニュース からです)

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台風直撃のフィリピン中部、商売も存続の危機に
AFP=時事 11月21日(木)14時46分配信

【AFP=時事】猛烈な台風30号(アジア名:ハイエン、Haiyan)が直撃したフィリピン中部では、家屋や人々の生活が壊滅的な被害を受け、小規模商業を営む人々の暮らしが危ぶまれている。

 上陸した台風として観測史上最大規模の台風30号被災者らは、食糧も水も手に入らない中、生き延びるという当面の課題のために、商売の将来の計画を犠牲にしなければならない状況に置かれている。

 レイテ(Leyte)島沿岸部のタナウアン(Tanauan)のアレダ・アファブレ(Aleda Afable)さんは、飼育していた牛のうち高潮から辛うじて生き残った1頭を食すため解体するか、なけなしの財産として殺さないでおくかの選択を迫られた。

 だが結局、この過酷な状況で選ぶべき道は一つしかなかった。「この土地の復興には恐らく数か月、いや1年以上かかる。救援物資がなかなか届かず、牛の解体を余儀なくされた」とすすり泣きながら話した。

 アファブレさんは、数日間ほとんど何も食べていなかった隣人たちと肉を分け合った。アファブレさんの家は比較的、裕福で、3階建ての自宅はタナウアンで台風による倒壊を免れた数少ない家屋の一つだ。

 タナウアンは先祖代々の家や教会が立ち並ぶ活気あふれる町だったが、大通りに面した店は今はがれきと化してしまった。

台風で損壊したが持ちこたえている金物店の外で、食べる物を探しに出掛けた母親を待っていたアイビー・ジョイ・ロゼット(Aivee Joy Rosette)さん(15)は「お母さんは店をまた開きたいと話しているけれど、私はここを離れたい。今も怖いし、どのみちここには誰も残っていない」と話した。

 近隣のサマール(Samar)島は高潮による最悪の被害は免れたものの、風速90メートル近くという暴風の影響を受けた。ただ、商業活動の復活の兆しは見え始めている。

ギワン(Guiuan)では商人たちが教会の前の広場で間に合わせの露店を開き、新鮮な魚や卵、生きたニワトリなどを売っていた。

 東サマール(Eastern Samar)州のベン・エバルドネ(Ben Evardone)州知事は、地域経済の柱であるココヤシの木の80%がダメになったと述べ、新たに植林して実がなるまで最低でも3~5年はかかると話した。【翻訳編集】 AFPBB News

  (ヤフーニュース からです)

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