台風30号 11月18日~11月19日
父の話に11歳次女涙ぐむ…比台風避難所ルポ
読売新聞 11月18日(月)14時53分配信
【セブ(フィリピン中部)=比嘉清太】「台風で倒れた家の下敷きになった兄が死んだ。葬式を出すカネもない」――。
台風30号で甚大な被害が出たフィリピン中部レイテ島からの脱出者が身を寄せるセブ島の避難所で、漁師のロデル・ラゴさん(42)が肩を落とした。
息子2人も重体で、ラゴさんは「幸せだった日々には、もう戻れない」と悲しみに暮れた。
避難所として使われているセブ中部の体育施設。17日夕、レイテ州の州都タクロバンなどからの脱出者約130人が集まっていた。
「ニュースだと台風の記憶がよみがえり、泣き出す人がいるから」(地元当局者)との配慮で、テレビでは娯楽チャンネルの番組が流れていた。
ラゴさんはテレビから最も離れた場所で、段ボールを敷物代わりに座っていた。「ここに水や食べ物はある。
だが、あの時のことを思い出して夜はほとんど眠れない」と語り、痛々しく皮がむけた指や腕を見せた。
タクロバンの海沿いにあった簡素な木造の自宅は、高波に襲われた。その直前、子ども7人のうち、妻とともに5人は屋上に避難させ、万が一に備えて家と結びつけていたロープのおかげで、さらわれずに済んだ。
ラゴさんも激流の中、家の柱にしがみついて九死に一生を得た。だが、長男(17)と次男(13)は逃れきれずにおぼれたとみられ、セブの病院に運ばれたが重体という。
近所に住んでいた漁師の兄、オリルさん(44)は、搬送先のセブの病院で亡くなった。「子どもの世話がある。まだ兄の死に顔を見ていない」という。
親戚がいるマニラに行きたいと希望しているが、軍用機の数が足りず、民間機には「乗るカネもない」。
台風の襲来前も生活は貧しかったが、魚やロブスターを捕まえて、それなりに食べていけた。「家も壊れ、船も流された。どうやって生活を再建できるのか」。
ラゴさんの顔がゆがみ、生後3か月の妹にミルクを飲ませていた次女ジェルディさん(11)が涙ぐんだ。
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<フィリピン>救援の海自輸送艦など呉出港 現地到着22日
毎日新聞 11月18日(月)21時38分配信
台風被害を受けたフィリピンに向け、自衛隊の国際緊急援助隊の増援部隊約700人が18日、海上自衛隊の護衛艦「いせ」と輸送艦「おおすみ」で呉基地(広島県)を出発した。到着は22日ごろ。
救援活動は「サンカイ(現地語で友達の意)作戦」と名付けられ、過去最多の約1180人が送り込まれる計画。
【写真で見る】台風30号の傷痕が残るフィリピン
防衛省によると、2隻には陸上自衛隊を主力とする医療・航空援助隊が乗り込み、CH47などヘリコプター8機やトラック30両も搭載。
出発に先立ち、部隊の指揮官を務める海自第4護衛隊群司令の佐藤寿紀(ひさのり)海将補は「東日本大震災の被災地域の部隊も参加しており、恩返しができる。日本らしい高品質の援助を届けたい」と語った。
2隻は被災地周辺の海域に到着後、空母などを派遣した米軍とも連携し、孤立地域に要員や物資を運ぶとともに、被災者の移送も想定している。また、派遣済みの約50人が始めている医療活動を増強し、新たに消毒活動なども行う。
一方、18日は航空自衛隊のC130輸送機がマニラから、約400キロ離れたパナイ島へ救援物資の米9トンを初空輸した。【吉村周平、本多健】
(ヤフーニュース からです)