今話題の美人たち1 ユーリア・ティモシェンコ ウクライナ元首相
今話題の美人たち 1
ユーリア・ティモシェンコ元首相
ウクライナ紛争のページの最初の記事が元首相の
ユーリア・ティモシェンコですね。そこで話題の
美人たちを掲載しました。
ティモシェンコは首相のときはメディアに「美し
過ぎる首相」と呼ばれました。首相になったのは
2005年と2007年の2回です。
ユーリア・ティモシェンコ
1960年生まれ。
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このブログのウクライナ情勢の記事では最初の記
事になっているのですが、そこには大統領選挙に
立候補するとあります。この選挙ではポロシェン
コ氏に敗れました。
ユーリア・ティモチェンコの髪型は特徴があり、
彼女のマークのように日本で知られているのです
が、ウクライナの伝統的なスタイルのようです。
三つ編みをして頭を回して、ピンのようなもので
止めるだけということです。
2004年の大統領選挙では選挙の投票に不正があっ
たという抗議が起こり、国を二分する対立が発生
して、再度の投票が行われまし。西欧とロシアの
間にあり、ウクライナは何かと西欧型かロシア型
で対立が起きています。
政治運動となりました。この結果、2005年には大
統領になったユシチェンコに首相代行に指名され
ました。
のジャンヌダルク」と表現しました。
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2007年の議会選挙で議席を伸ばし、ティモシェン
コが再度首相に就任しました。2010年の大統領選
挙に立候補しましたが2位となり、投票の不正を
裁判所へ提訴しました。
ち上げ裁判など、混沌とした状態でした。社会全
体が混沌としている状態とも言えます。
2011年には、ティモシェンコは日本からの温室効
果ガス取引の日本からのお金を流用したとして最
高検察庁に起訴され、裁判では禁固7年の刑とな
りました。
ヤヌコビッチが大統領の間2010年~2014年は政
争の標的にされたようです。2012年には刑務所
内で暴行を受けて骨折しました。51才の時だ
ったそうです。
傷跡を見せるティモシェンコ
13年に病気治療を理由に釈放され、メルケル首
相の協力でドイツで治療しました。回復して、
最初の記事のように、大統領選挙に立候補しま
した。
不安定な社会状況の中では陰謀策略がめぐらさ
れ、政治家は命がけですね。ティモシェンコに
も影の部分があるとも言われています。
超大国が陸続きで隣となるとなると社会全体が
緊張の連続でしょう。どう収まるのか想像がで
きません。
明治神宮を参拝
ファンアートの一つ
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産経ニュース 2014.2.23 00:04
ヤヌコビッチ大統領の求心力低下に伴い、動静が注目されるユリヤ・ティモシェンコ元首相は現在もウクライナ最大野党「祖国」の有力者で、ヤヌコビッチ氏の最大の政敵の一人だ。
ティモシェンコ氏はエネルギー会社社長を経て1996年にウクライナ最高会議(議会)議員に当選。同国に親欧米政権を誕生させた2004年の「オレンジ革命」でユシチェンコ元首相を支持し、共に街頭行動を指揮して国民の間で高い人気を得た。
その後大統領となったユシチェンコ氏の下で首相を務めたが、経済政策で同大統領と対立し05年9月に解任された。その後首相に復帰したものの、10年の大統領選では僅差でヤヌコビッチ氏に敗れ、再び首相を解任された。
11年には、首相時代にロシアとの天然ガス輸入取引で不当に高い価格でのガス購入に合意し、国庫に損害を与えた罪などで禁錮7年の実刑判決を言い渡され、収監された。
裁判を、親露派とされるヤヌコビッチ氏による政敵排除の動きと見ていた欧米諸国は判決に強く反発した。
ウクライナは欧州連合(EU)への統合路線を取っていたため、EUは加盟に向けた交渉で、ヤヌコビッチ政権に対しティモシェンコ氏の釈放を要求。
同氏が病気治療の名目で釈放される可能性が高まったが、その後政権がロシアからの金融支援を受ける方針に転換し、釈放も見送られた。ヤヌコビッチ氏は政敵のティモシェンコ氏を釈放したくない考えだったとも報じられている。(黒川信雄)
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[キエフ 27日 ロイター] -ウクライナのティモシェンコ元首相は27日、5月25日に実施される次期大統領選への出馬を表明した。ティモシェンコ氏は会見で、強い軍部隊を構築するとしたほか、ロシアからクリミアを取り戻すことを望むと述べた。
同氏はヤヌコビッチ政権下で職権乱用罪で収監されたが、政権崩壊を受け2月に出獄していた。
ウクライナ大統領選では、ティモシェンコ氏のほか、ヤヌコビッチ政権への抗議デモで中心的な役割を果たしたビタリ・クリチコ氏なども出馬を表明している。
ウクライナと周辺地図
ウクライナの人口 約4,500万人
首都キエフの人口 約290万人
ペチェルスカ修道院とドニエプル川
2004年の大統領選挙でヤヌコビッチ(2010年~2014年の大統領)陣営が不正な選挙があったとしてユシチェンコ(2005年~2010年の大統領)が主張し、国を東西に分けた抗議活動になりました。ティモシェンコはこの抗議活動に活躍し、国民の人気を得ました。
終わりまでお読みいただき、ありがとうございました
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